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ビジネスの巨人シリーズ

松下幸之助

松下幸之助研究室

本体価格: 1400円+税


判型:A5 /並製
ページ数:128
初版年月日:2008/04/07
ISBN:978-4-7572-1488-0
ASIN:4-7572-1488-X

「経営の神様」のすべてがわかる! ゼロから出発し、世界企業を創り上げた成功の秘密とは?
「松下電器は人をつくる会社です」とは、どういう意味なのか? 今なお尊敬され、多くのビジネスマンに影響を与え続けている経営者の魅力に迫る!

松下幸之助(まつした こうのすけ)
明治27年、和歌山県生まれ。父親が米相場で失敗して財産を失ったため、小学校を中退し、丁稚奉公に出る。その後、五代自転車での丁稚を経て、16歳で大阪電燈(現・関西電力)に入社。同社を退社後、大阪で、妻むめのと義弟、井植歳男(後に三洋電機を設立)の3人でソケットを開発。1918年に「松下電気器具製作所」(現・パナソニック)を創業する。アタッチメントプラグ、電池式自転車用ランプなど、ヒット商品を数多く生み出す。1925年には「ナショナル」ブランドを立ち上げ、乾電池やラジオ製造を開始。1935年に社名を「松下電器産業株式会社」とし、社長に就任。戦後、1946年にPHP研究所を設立。デフレ経済で松下電器は経営危機に陥るが、危機を乗り、会社を軌道に乗せる。1961年に会長に就任するも、経営立て直しのため、営業本部長代行を兼務。1973年、80歳になるのを機に現役引退。1989年、死去。享年94歳。

目次

Table of contents

[特別インタビュー]
篠原欣子(テンプスタッフ代表取締役社長)
「幸之助さんの言葉は優しく語りかけるようで癒されたわ」
中村隆俊(元松下電器産業株式会社人材開発センター営業研修所所長)
「松下幸之助の商いの心は人の道を指し示しています」

“経営の神様”松下幸之助 5つの鉄則
・人をつくる
・共存共栄
・水道経営
・素直な心
・公明正大

第1章 エピソードとその理念に探る 幸之助流ビジネスの真髄
・稲盛和夫も感動させた「ダム経営」
・涙と感動の「熱海会議」
・「ハーマン・カーン事件」
・リストラなしのV字回復
・飽くなき挑戦が生む「やってみたんか?」
・社長自らが「トイレ掃除」
・「ベータ=VHF戦争」での決断
・信念に裏打ちされた交渉力
・衆知を集まる経営手法
・卒倒するほど厳しい叱責
・成功の秘密「雨が降れば傘をさす」
・「感謝の心」を忘れない

第2章 生き様に投影されたその想い 松下幸之助 その生涯
・幸せな幼少時代
・一転、荒波の少年時代を迎える
・電気の時代を予感し、大阪電灯会社へ
・ソケットの改良に人生をかけ、独立を決意
・「松下電器具製作所」を創立する
・「砲弾型電池ランプ」の実演宣伝販売に成功
・恐慌時代と松下電器
・産業人としての使命を知る「創業命知元年」
・新本店工場を鬼門に位置する門真に建設
・第二次世界大戦と松下電器
・財閥指定とその解除に至るまで
・フィリップス社と提携
・感動の涙で締めくくられた「熱海会議」
・会長を退任、相談役に 
・日本と世界のために身を賭して貢献 

第3章 幸之助イズムを継承した「松下電器」のビジネス戦略とは?
・組織戦略「事業部制からドメイン制へ」
・営業改革「国内営業変革とマーケッティング本部」
・商品戦略「占有率No.1の『V商品』で勝ち抜け」
・市場戦略「デファクトスタンダードを目指せ!」
・生産改革「『モノづくり立社』で生産の改革を図る」 
・生活快適空間事業「『ワンストップ』で生活提案企業へ」

コラム
・2人の偉人伝 松下幸之助と本田宗一郎
・幸之助の遺産 PHP研究所と松下政経塾
・日本型経営と世界戦略 「松下電器」から「パナソニック」へ

松下幸之助年譜
松下幸之助著作リスト

その他情報

Other Information

【執筆者プロフィール】

須賀柾晶(すが まさあき)
伝記作家、環境ジャーナリスト。都内中堅出版社、社会啓蒙家の秘書等を経て、2001年、有限会社イー・プランニングを設立し今日に至る。主な編著書に、『環境経営実例集』(産学社)、『ネット<攻撃・クレーム・中傷>の傾向と対策』(飛鳥出版社)などがある。

舎人栄一(とねり えいいち)
早稲田大学政経学部卒。徳間書店を経て、執筆活動へ。『日刊ゲンダイ』『フォーカス』などの創刊に携わり、著書に『わが県の実力番付』(祥伝社)、『さらばフォーカス』(飛鳥新社)など多数。

宮崎哲也(みやざき てつや)
大阪国際大学教授。国際情報ベンチャーカレッジ学院長、NPO法人キャリア開発研究機構福岡理事長。『新しい大衆「ロウア−ミドル」はこうしてつかめ!』(PHP研究所)、『図版でわかるM&A』(日本実業出版社)など著書多数。

近年、盛んに言われる「サステナビリティ」や、「企業の社会的責任」という考え方がありますが、松下幸之助にとって、それは、「雨が降ったら傘をさす」くらいに、当たり前のことでした。厳しい少年時代〜丁稚奉公〜倒産の危機と、度重なる困難を乗り越えてきた幸之助にとって、人と人とのつながりの大切さは、骨身に沁みた実感だったのではないでしょうか。もちろん、人情で経営はできません。幸之助は、生産者と消費者とつながり、そして経営者と社員とのつながりにおいて何が大事かを考え続け、ベストな状態を追求したからこそ、その手ごたえを実感することができたのではないかと思います。顧客第一を掲げ、人を育てる経営を、「日本的経営」と揶揄し、時代遅れと考える声がありますが、もう既に、それを抜きにしては、企業が生き残れない時代がやってきています。今こそ、幸之助の歩みを振り返り、彼の考え方に耳を傾けてみては、いかがでしょうか。