ビジネス : 第41回 人工知能 その1

第41回 人工知能 その1

第41回 人工知能 その1
 世界に認識の変革を迫るヴィジョンを演出することで、ある事物の本質を抉り出すことそのものを目的とし、どんな現世利益的な欲も動機も目的にしない、そんな悪役。世界を支配するのでもなく、政治的な目標を達成するのでもなく、金をもうけるのでもなく、ただある世界観を「われわれ」の世界観に暴力的に上書きする時間を演出する、それだけを目的とした悪役たち。
(『伊藤計劃記録Ⅰ』ハヤカワ文庫)


 このところAI(人工知能)の周辺が活況を呈している。プロの棋士が人工知能と戦って苦戦しているとか、ついに打ち負かされたとか。クイズで人間は人工知能に勝てなくなっているとか。人工知能を搭載した車をグーグルが開発中であるとか。

金融市場では早くからコンピュータによる高速トレードが主流となっている。近いうちに雇用破壊が起こり、人間の仕事の多くはAIに奪われてしまうのではないか、といった懸念も耳にする。

 人間vs人工知能。こうした対立の構図自体は目新しいものではない。スタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』(1968年公開)では、宇宙船に搭載されたコンピュータ(HAL9000)が異常をきたし、自分を停止させようとする乗員を排除する。ジェームズ・キャメロン監督の『ターミネーター』(1984年公開)は、近未来の世界で反乱を起こした人工知能(スカイネット)が指揮する機械軍により、人類は絶滅の危機を迎えているという設定になっている。映画やSFの世界では馴染みの非常事態が現実になろうとしている、ということなのだろうか。

 AIにかんする最近のトレンドで、よく出てくるのが「シンギュラリティ(技術的特異点)」という言葉だ。現状のまま人工知能が進歩しつづけると、2045年くらいに人間を超えるAIが誕生するという予測があり、これをシンギュラリティ(技術的特異点)というらしい。

人工知能が人間よりも賢くなって爆発的に進化する。人工知能は人間にとって脅威になる。そこで何が起こるかわからない、なんでも起こりうる……ということで、スティーブン・ホーキングは人間が終焉するかもしれないといったコメントを発している。他にも同様の危惧を抱いている科学者は多いし、ビル・ゲイツなども人工知能の脅威を訴えている。

 この話、どこかで聞いたことがある。前回は伊勢崎賢治さんの本(『新国防論』毎日新聞出版)の内容をたどって、世界はグローバル・テロリズムの時代に入っているという認識を得た。そこでも状況は、やはり何が起こるかわからない、なんでも起こりうるというものになっていた。同じことが同じトーンで語られている。AIの脅威とテロの脅威、二つはどんなふうにつながっているのだろう。


 グローバル・テロリズムについて簡単にまとめておこう。現在の紛争は非対称的な戦争、いわゆるゲリラ戦になっている。これに対処するために国連のなかに「保護する責任」という考え方が生まれ、PKOは交戦主体になっている。「住民を保護」するためには先制攻撃も辞さない、というのが現在のPKOである。

 前掲書のなかで、伊勢崎さんは「まともな敵」と「まともじゃない敵」という言い方をしている。どんな独裁国家であっても、国民や国連にたいしてレジティマシー(法的な正統性)を提示しようとする意思がいくらかでもあるかぎり「まとも」である。この基準からすると、イランも北朝鮮も「まともな敵」である。

一方、イスラム国に代表される新興勢力やアルカイダなどの武力組織には、国際法のような共通言語がない。兵士の行動をある程度まで規制する国際交戦規定や、捕虜や傷病者の扱いを定めたジュネーブ条約といった「常識」が通じない。いわば「まともじゃない敵」である。

 こうした「まともじゃない敵」にたいして、国連を中心とする国際社会は集団安全保障という考え方によって対処しようとしている。世界の秩序を維持するためにテロリストを殲滅する。先制攻撃をして排除する。集団安全保障ではそうなる。それ以外に方策はない。各国首脳とも「断固としてテロと戦う」と言っているけれど、事態が終息する気配はなく、かえって悪化するばかりだ。制圧するほどに広がりを増すのがグローバル・テロリズムである。

 もう一つ重要な点は、パリで2015年11月に起こったテロや、2016年3月にブリュッセルで起こったテロの場合、容疑者はヨーロッパで生まれ育った人たちであるということだ。シャルリ・エブド事件で実行犯とされた若者もそうだった。フランスの最貧困地区で生まれた者が、その国の市民権をもっているにもかかわらず這い上がれない。どうしようもなくなって強盗をしたり、麻薬に溺れたりする。社会の片隅に追いやられた若者が、イスラム教徒としての生きがいを与えてくれそうな組織に吸引され、心の拠り所をアラーの神に求めてテロの実行犯になる。

 イスラム国の場合、カリフ制の復活という建前は掲げているが、一部の幹部連中は別として、世界各国からISに渡航する若者たちには、そういった意識は希薄なのではないか。やはり追い詰められて這い上がれないという絶望感が、自爆を伴うジハードへ向かわせている気がする。私たちのいる場所からは、無関係な市民を標的にして理不尽な殺傷行為を繰り返しているように見える。

 生存権と呼ばれるものがある。日本国憲法の25条1項では「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」となっている。この権利を保証されない人たちが、世界中に広範に生まれている。2000年に刊行された『帝国』のなかで、アントニオ・ネグリたちは「第三世界の内部化」ということを言っていた。この過程がより強度に進行しているということだろう。森崎茂さんは「例外社会」という言葉を使っている。市民社会の外部という意味である。こうした例外社会が、パリの近郊やベルギーといった、ヨーロッパのなかでももっともヨーロッパらしい国々に生まれている。そこで生まれ育った者たちは、難民となってどこか別の国へ行くこともできない。まさに難民たちが目指している国において、彼らは生存権を否定されているのだ。

 ヨーロッパほどではないにせよ、日本でも状況は似たようなものになってきている。先日も生活保護を受ける世帯に占める65歳以上の高齢者世帯の割合が、はじめて半数を超えたという記事が新聞に出ていた(2016年6月1日、厚生労働省が公表した速報値)。公的年金だけではやりくりできないケースが増えている。統計には表れていないが、若くて真面目に働いても食べていけない人たち、怪我や病気で行き暮れている人たちもたくさんいるはずだ。

 どうにもならない現実がすでにある。多くの国民が無意識にリセットを望んでいるのではないか。安倍政権が支持される背景には、人々が無意識に共有している破滅願望があるのかもしれない。


 先ほども名前の出た森崎さんが教えてくれた動画がある。難民を支援しているヨーロッパのNGOが撮影して公開したものだったと思う。八歳くらいのシリア難民の女の子がお絵かきをしている。まだあどけなさの残る可愛い子が、マジックインクでスケッチブックに描いている絵には、車に銃を構えた黒い人が描かれている。まわりに赤い死んだ人が山ほどいる。別の絵では、ボートに乗った黒い人がやはり銃を持っており、海面に血を流した赤い人がたくさん浮かんでいる。

 五年後か十年後かわからないが、彼ら彼女たちのなかからテロリストが生まれるのは不可避ではないだろうか。その人たちをオランドは殲滅すると言っている。理不尽だなと思う。シリア難民の少女が描いたような光景を原風景として育つ人たちのなかに、世界のリセット願望が芽生えるのは避けられない気がする。最初の記憶が殺戮の光景だとすれば、そんな世界はなくなってしまってもいいと、私だって思うかもしれない。

 2009年に34歳で亡くなった作家が、十年以上も前に予感していた事態がリアリティを帯びてきている。世界を暴力的に上書きすることだけを目的とした悪役の登場。世界のタガを外すためだけに未知の病原菌をばらまいたり、原発をメルトダウンさせたりする。何が起こるかわからない、なんでも起こりうる。そんな不気味な世界の出現に、私たちは怯えている。この怯えに、AIのシンギュラリティが重なる。


●片山恭一(かたやま・きょういち)
1959年1月5日愛媛県宇和島市に生まれる。愛媛県立宇和島東高等学校卒業。
1977年九州大学農学部に入学。専攻は農業経済学。1981年同大学卒業、大学院に進む。1986年「気配」にて『文学界』新人賞受賞。1995年、『きみの知らないところで世界は動く』はじめての単行本にあたる。2001年刊行された『世界の中心で、愛をさけぶ』はミリオンセラーとなる。著作は最新刊の『なにもないことが多すぎる』(小学館)をはじめ、『船泊まりまで』 『生きることの発明』(ともに小学館文庫)評論『どこへ向かって死ぬか』(小学館文庫)『死をみつめ、生をひらく』(NHK出版新書)等多数。福岡市在住。
公式Webサイト:http://katayamakyoichi.com