ビジネス : 第39回 集団的自衛権 その3

第39回 集団的自衛権 その3

第39回 集団的自衛権 その3
 前回はPKOの現状について、伊勢崎賢治さんの『新国防論』などを手引きとしてご紹介した。現在の国連PKOは、戦争そのものである。自衛隊であれなんであれ、PKOに部隊を送るということは、紛争の当事者になるということである。つまり「戦争をする」ということなのだ。

 ルワンダの悲劇は1994年に起こる。その後、国連のなかでPKOの役割は180度転換する。したがってもう20年くらい、日本政府は明白な憲法違反を承知で自衛隊を派遣しつづけてきたことになる。本来であれば、憲法を改正して自衛隊を軍隊にしなければ、PKOに送ることはできないはずだ。そのことは、まったく議論されてこなかった。

 もう一度確認しておこう。自衛隊をPKOに送ることは、即時に憲法9条に抵触する。このことに議論の余地はない。だから選択肢はつぎの二つしかない。

①自衛隊をPKOに派遣しつづけるために、憲法を改正して自衛隊を正式な軍隊にする。
②違憲状態を解消するために、自衛隊をPKOに送ることをやめる。

 いずれにしても、当面は自衛隊を海外へ派遣してはならない。その上で、①と②について徹底して議論する。これが本筋だ。改憲か護憲かという議論は、この点をめぐってなされるべきだ。

 最初にも述べたように、私は心情的には護憲だが、「憲法9条を守れ」と言っている人たちに与する気にはなれない。現状を放置して、ただ憲法を守れと言っても、何も言ったことにならないからだ。

本気で護憲ということを考えるなら、まず自衛隊をPKOに送らないことを論点に据えるべきだろう。自衛隊はPKOに参加させない。いまの国連PKOは戦争であるが、日本国憲法は交戦権を否認している。だから自衛隊を派遣することはできない。

 以上のように主張することが、護憲の立場だろう。先にも述べたように、POKは国連加盟国の義務である。PKOに参加しないかわりに、どのようにして加盟国としての義務を果たすか。部隊を出すだけが能ではない、と伊勢崎さんは言っている。

もともと集団的安全保障への協力は「契約上の義務」であり、履行しなくても罰則規定のない緩やかな義務である。義務を履行しないリスク(国際社会での信用が落ちるなど)よりも、利害関係のない他国の住民保護のために「武力の行使」をするリスクのほうが遥かに大きい。

歴史的に道義的責任を負うべき旧宗主国ですら、PKOに部隊を出さなくなっているのが現状である。まして憲法において交戦権を否認している日本が、軍隊としての法的地位もない自衛隊を、なぜ派遣しなければならないのか。

 不合理なことだらけだし、無理に自衛隊を派遣しなくてもやり方はいろいろある。しかしそういったことも、現状を知らなければ議論にさえならない。まず現状を知った上で、日本の国防と安全保障にかんする明確なビジョンを構築することが必要だろう。それを私たち一人ひとりが考えるべきだ。

とくに護憲派の人たちは、しっかり勉強して考えなければならない。しかし多くの人は、より簡便な「憲法9条を守れ」「安保法を廃案に」「安倍政権を倒せ」というような、答えにもなっていない答えに逃れてしまう。この安易さが、憲法9条の理念を損ないつづけてきた元凶ではないだろうか。

 ただ護憲や反安倍を唱えることで、平和に貢献していると思える人、何か善いことをしていると錯覚できる人は、勉強不足である。怠慢である。鈍感である。私自身のことを省みで、はっきり言っておきたいと思う。

 自衛隊を現状のPKOに送ることは、明白な憲法違反である。そんなことは憲法学者に言われなくても、小学生にもわかることだ。小学生にもわかることを放置して、空理空論を戦わせている国会は、小学校の学級会以下と言うしかない。国権の最高機関である国会で、小学校の学級会レベルにも満たない議論をしている国が、国際社会にたいして、いったいどんなプレゼンスを示しうるというのか。常任理事国入りをめざすなど、まともな神経では言えないことだ。そのことが自分でもわかっているから、安倍首相は世界中にカネをばら撒いているのかもしれない。だとすれば愚かだが、正直ではある。

 今日までに至る国会での議論を、伊勢崎賢治さんは「右・左の談合」と言っている。明白な憲法違反の下で自衛隊を戦場へ送っていることを可視化させない、というのが「右」の立場だとすれば、下手に可視化させて政局が改憲へ動くことを避けたい、というのが「左」の立場だ。要するに保守とリベラルが馴れ合って詭弁を弄してきたわけだ。

 では実際に、どのような詭弁が使われてきたのか。伊勢崎さんが言っていることをそのままフォローしてみる。

 自衛隊はPKO部隊であるだけでなく、国連部隊という多国籍軍としての「武力の行使」に一体化して活動する。一体化しなければ、多国籍軍としてのPKO部隊は成り立たない。誰が考えても当たり前である。しかし歴代の政府は、自衛隊の活動は「武力の行使」と一体化しないという詭弁を使い、9条との抵触という明白な事実を歪曲して言い抜けてきた。いわゆる「一体化論」(政府は外向けに英訳でthe theory of so-called "Ittaika with the use of force"としている)」である。

 この一体化論の基礎となるのが、これまた“so-called”が付く「後方支援」や「非戦闘地域」というインチキ言葉である。「インチキ」というのは、いずれも日本国内での法議論のためにつくられた(つまり国際法上は通用しない)ガラケイ・フィクションであるからだ。

 現在の紛争の多くは、国家によって組織された軍隊と軍隊の戦いではなく、住民のなかに紛れ込んだテロリスト(反乱者)を相手にするものになっている。この非対称戦の現場において、「非戦闘地域」があるとしたら基地のなかだけである。PKO部隊として派遣された自衛隊が、交戦権を認められていないからという理由で、基地のなかでじっとしていることは、ちょっと考えられないが、仮に基地にこもっていても、PKO部隊の一部が敵と交戦状態になれば、部隊全体が自衛隊も含めで交戦主体になるから、当然、基地のなかにいる自衛隊も狙われる。

 自衛隊の活動は「後方支援」に限定されるから人的被害は出ない(ハズ)というのも嘘である。まず「後方支援」という言葉からして、国内仕様の典型的なガラケイ言葉である。ちゃんと「兵站(Logistics)」と言わなければ海外では通用しない。

その「後方支援」をしている補給部隊のジープが、遠隔操作爆弾によってつぎつぎに破砕される、といった動画はYoutubeなどに溢れている。基地を一歩出れば、そこは非対称戦の現場であり、その危険度は刻一刻と変化する。

 このように国際常識からすると意味不明(というかナンセンス)なガラケイ言葉を使って、与党も野党も国会で「論戦」をしているのである。政府が詭弁を弄して自衛隊を派遣しようとすれば、反対する側は空疎な建前をかざして反論する。それで国防や安全保障にかんする重要な案件が「審議」されていく。

なんだか日本という国は、国際社会から隔絶した環境において進化ならぬ退化を遂げた国という気がしてくる。いわば逆ガラパゴス化した国家だ。この逆ガラパゴス化は、言うまでもなく戦後70年におよぶアメリカの庇護下で進んだ。皮肉なことに、いまではその象徴が憲法9条になっている。

 なぜこんなことになっているのか。私たちが現場を知らないからだ。世界の現状について、あまりにも無知であるからだ。メディアや野党の責任は大きいが、私たちのほうも怠慢だったと言えるだろう。

 これほど無知な私たちでありながら、日本の平和は戦後70年にわたって保たれてきた。日本人が守った、平和運動が守った、とは恥ずかしくて言えない。憲法9条のおかげとも言いたくない。現にそんなことはなかったわけだから。強いて言えばアメリカが守ってくれた。自国の利益を最優先とするアメリカのやり方が、たまたま日本を戦争に巻き込まなかった、というだけのことなのだ。

 すべては偶然であり、たんなる幸運である。憲法9条が与えてくれる偽りの安心感のなかに、私たちは戦後70年まどろみつづけてきた。それを自覚することが、国防や安全保障の問題を考える上で、まず何もりも大切ではないだろうか。

言い換えれば、護憲か改憲かという大雑把な議論をつづけることが、いま日本の平和にとって最大の脅威なのである。反政府や反安倍や反安保法を唱えることが、日本の安全保障に貢献すると錯覚しつづけることが、いちばん危機的な状態なのである。

 年寄りがはじめた戦争に行くのは若者だ、と当の若者たちが言っている。子どもや孫を戦地に送りたくない、と母親たちが声を上げる。気持ちはわかるけれど、いまや戦争そのものに様変わりしているPKOに、現に自衛隊は送られている。明白な憲法違反である。では憲法を変えて自衛隊を軍隊にするのか、別の方法を模索するのか。一人ひとりが考えようではないか。

●片山恭一(かたやま・きょういち)
1959年1月5日愛媛県宇和島市に生まれる。愛媛県立宇和島東高等学校卒業。
1977年九州大学農学部に入学。専攻は農業経済学。1981年同大学卒業、大学院に進む。1986年「気配」にて『文学界』新人賞受賞。1995年、『きみの知らないところで世界は動く』はじめての単行本にあたる。2001年刊行された『世界の中心で、愛をさけぶ』はミリオンセラーとなる。著作は最新刊の『なにもないことが多すぎる』(小学館)をはじめ、『船泊まりまで』 『生きることの発明』(ともに小学館文庫)評論『どこへ向かって死ぬか』(小学館文庫)『死をみつめ、生をひらく』(NHK出版新書)等多数。福岡市在住。