ビジネス : 第20回 生権力 その4

第20回 生権力 その4

第20回 生権力 その4
 私たちは好きなことをして生きたいと思っている。この「好きなことをして生きる」のなかには、心と身体に多少の無理をかけることも含まれる。プロのスポーツ選手などにとっては当たり前のことだ。心身に負担をかけてでも、やり遂げたいことの一つや二つ、誰にだってあるだろう。

 人が自らの生を懸命に生きようとしたことの、いわばサイドエフェクトとして、がんになったりうつ病になったりする。そのこと自体は善でも悪でもない。倫理の問題など、なんの関係もない。だた、その人の生き方のなかに、病気もあるというだけの話だ。がん検診を受けましょう、タバコをやめましょう、といったお節介を焼く前に、このシンプルな道理を尊重したいものである。

 あるいは現在、医療制度に対してなされている非難も、必ずしも利益優先の医療をしているということではない。もちろん医者の金儲け主義は事実としてあるのだが、肝心な問題はそれではない。また、医療の知識が非常にいいかげんで間違っているということでもない。そうではなくて、われわれの身体や苦痛、生命や死に対して、他人が無制限の力を振るうという事実そのものが批判されているのだ。(中略)われわれが医学的知に、医療技術体制に対して非難するのは、われわれが望みもしないのに、科学的にも技術的にも最新の方法で、われわれを生かしておく、つまり〈死の権利〉というものを一方的に医学の名において拒否していること自体に対する拒否なのだ。つまり、医学的な知への〈否〉であるといえる。
(ミシェル・フーコー「政治の分析哲学」渡辺守章訳『思考集成Ⅶ』筑摩書房)


 1970年代の半ば、フーコーは人々の生命にたいして直接的に、また積極的に働きかけようとする権力を「生権力」と名づけた。とくに彼が問題化したのは、医療の過剰さであり、それによって否応なしに医療的知の権力が増大し、ときに恣意的に私たちの生と死を決定することだった。

 フーコーが亡くなってから三十年。おそらく生前の彼のなかにも、生命科学や情報技術が事態を加速させるという予感はあっただろう。しかし私たちが直面している事態は、彼の予想をはるかに超えたものではないだろうか。

X線やCT、MRI超音波、マンモグラム、PETなど、有機体の内部を可視化する技術に加え、制限酵素、放射線マーカー、ゲル電気泳動、ポリメラーゼ連鎖反応など、遺伝子そのものを分子レベルで分解し、解剖し、操作し、増幅し、再生産する技術が登場してきた。

こうした技術によって、生命は文字通り分子レベルで可視化されている。四十年前にフーコーが問題化した生権力は、いまや医療の現場において、細胞や遺伝子といったミクロのレベルで、人体に介入するものになっている。

 私たちが直面している医療の過剰さは、量的なものであると同時に質的なものと言えるだろう。大量の医療被爆や治療薬の投与といった問題に加え、分子的レベルで介入してくる医療的知の過剰さと恣意性が、ほとんど私たちの生をまるごと簒奪しかねないまでになっているのだ。

 フーコーによれば、臨床医学の本質は見ることであり、知覚されたものへの回帰によって特徴づけられる。その誕生は十八世紀末から十九世紀初頭とされる。もちろん太古以来、人間の眼差しは家族や隣人たちの苦悩の上に注がれてきたはずだ。では何が変わったのか。

 そこで問題とされる個人は、病める人間というよりは、むしろ、あらゆる同病者において無限に再現しうる病理的事実なのである。(中略)医学の前にある任務は、一つの開かれた領域での、もろもろの事件を知覚すること、しかも無限に知覚することなのである。
(ミシェル・フーコー『臨床医学の誕生』神谷美恵子訳 みすず書房)


 十八世紀末に生まれた臨床医学が対象とするのは病理的事実であり、疾病的地平という新たに開かれた領域である、とフーコーは述べる。こうした領域が可視化されるためには、個人は差し引かれなくてはならない。つまり「彼」を考慮に入れてはならない。病人は括弧に入れる。それによって病気そのものが前景化し、病理的事実という可視的な領域が、医師の前に開かれる。

 私たちが医療の現場で遭遇する、お馴染みの光景である。いまでも漢方医などは、問診をして日常生活の様子を聞いたり、舌や目や皮膚の状態を見たり、脈の強さや腹部の張り具合を調べたりするようだが、普通の病院では聴診器が使われることさえ稀になった。

採血結果の表示されたパソコン画面で、だいたい話は済んでしまう。もう少しことが大掛かりになれば、やはりコンピュータの画面上で操作されるCT画像などを見ながら、診断を聞くことになる。

 最初は身体表面に限られていた臨床医学的な眼差しは、病理解剖学の進歩に伴い、「器官」や「病巣」といった概念とともに身体の内部へと向けられていく。疾病の諸現象は、肉体という闇のなかで起こりはじめる。

病気とは身体の内部領域の疾患であり、病んでいるのは皮膚や脂肪や筋肉の下に隠された器官や組織であるというわけだ。表面に現れる症状に注がれていた眼差しが、身体内部で起こっている出来事へと移し替えられることにより、医学の眼差しは深さを獲得するとともに、解剖=臨床医学的な眼差しへと変容していく。こうした眼差しが、深さにおいても精度においても極まったところに、現在の医療実践はあると言えるだろう。

 手術ひとつをとってみても、臨床医学のなかには暴力的な要素が多く含まれている。もともと西欧的な医学は、ケアと暴力の均衡状態の上に成り立ってきたと言えるかもしれない。抗がん剤にしても放射線治療にしても、やり過ぎれば患者は死んでしまう。

とくに現在のがん治療の現場では、暴力性がケアを上回っていると思えるようなケースを、私たちはしばしば目にする。医療が過剰になることで、暴力的なものが前景として迫り出してきているのではないだろうか。

 フーコーの『監獄の誕生』は、ルイ十五世の暗殺を企てたロベール=フランソワ・ダミアンが八つ裂きの刑に処せられる場面からはじまっている。こうした身体刑や残酷刑は、ヨーロッパでは十八世紀ごろまでは普通に行われていた。

中国でも皮剥ぎの刑のようなものが、法文には載っていないけれど、しばしば執行されていたという記録がある。もっと遡れば、人身供犠や生贄みたいなものになるだろう。捕虜や奴隷を切り刻んで神に捧げ、治水や豊穣を祈った。

いまでも行われている公開処刑は、その名残かもしれない。まさに「切り裂き、切り刻む」ということを、人間は延々と、しかも法制度のなかで合法的に行ってきた。これに戦争を含めることもできるだろう。

 医学の分野において行われてきたこと、現在なお行われていることも、CTやMRIなど手法は洗練されソフトになっているものの、発想は切り刻むということである。猟奇的な犯罪者だけが人を切り刻むわけではない。

人間の歴史とは、まさに人が人を切り刻む歴史だった。ホモ・サピエンスのサピエンスとは、切り刻むことと言ってもいいくらいだ。だから旧約の神はモーセに「十戒」を授けたのだろう。天然自然の凶暴さや理不尽さを、ヤハウェという超越的な存在に体現させることで、人間の残忍さを強圧的に治めようとしたのではないだろうか。

 神という超越者は、いまでは「法」にかたちを変えて人間の暴力性を制御している。しかし近代市民社会における法というものは、ヤハウェの神ほど超然ともしていなければ毅然ともしていない。

市民社会の法を規則づけるのは合理性であり、しかも人々の利害関係を満足させるような合理性、フーコーが言うところの自由主義的合理性(『生政治の誕生』)である。

 たとえば脳死をめぐる最初の法律は、1968年のハーバード脳死委員会の報告書を踏襲するかたちでつくられた。そこで提言されたことは、①人工呼吸器につながれた患者の心臓はいつまでも動いているので、心停止による死の定義では病院のベッドが空かなくて困るということ、②移植に必要な臓器を獲得するためには、脳は死んでいるけれど他の臓器はまだ使えるという状態を新たな「死」の定義にしてもらいたいということである(P・シンガー『生と死の倫理』による)。

 経済社会的な利害や便益が一つの合理性をつくり出し、この合理性が法を生み出す。ところで市民社会において民主的に自由や合理性を運営する私たちは、旧約の時代と比べていくらかなりとも開明的になっているだろうか。

あいかわらず深い迷妄にとらわれているのではないだろうか。その証拠に、自由で合理的な市民の多くが、分子レベルで自己を切り刻ませるという現代の残刻刑に、身体のみならず生命までも進んで供しているではないか。

科学技術のなかにも、市民社会や民主主義のなかにも、あるいはフーコーがいう自由主義的合理性のなかにも、人間の迷妄を啓くための回路は組み込まれていない。このことを私たちは重く考えるべきだろう。

 誰のせいにすることでもない。それは自分の身に起こっていることであり、個人の意志で百パーセント関与できることだ。にもかかわらず、自由と強制と迷妄が渾然一体となったところで、しばしば私たちは自らの生命を他人に委ねてしまう。

それだけ私たちを取り巻き、生を貫徹する権力は強大なものになっているということだろう。過去も未来も、社会全体が開明的になることはありえない。一人ひとりが自ら蒙を啓いて出ていくしかないのだ。

 小説『ハーモニー』の少女たちのように、私たちもまた闘わなければならないだろう。闘争の舞台は、自らの心と身体である。前回の「超早期発見」で、テロ対策とがん治療が同じ思考パターン、同じモードで行われていることを見た。

外部のものは内部に敷衍され、内部のものはアウトソーシングされる。これが現行のグローバリゼーションの流れだ。その結果、「私」のあり方は世界と同型になっている。したがって世界を変えることは、私と生権力のあり方を変えることである。非常に大きな可能性だと思う。

●片山恭一(かたやま・きょういち)
1959年1月5日愛媛県宇和島市に生まれる。愛媛県立宇和島東高等学校卒業。
1977年九州大学農学部に入学。専攻は農業経済学。1981年同大学卒業、大学院に進む。1986年「気配」にて『文学界』新人賞受賞。1995年、『きみの知らないところで世界は動く』はじめての単行本にあたる。2001年刊行された『世界の中心で、愛をさけぶ』はミリオンセラーとなる。著作は『船泊まりまで』 『生きることの発明』(ともに小学館文庫)評論『どこへ向かって死ぬか』(小学館文庫)『死をみつめ、生をひらく』(NHK出版新書)等多数。福岡市在住。