ビジネス : 第1回 佐々木俊尚と“福山龍馬”に煽られた末の転落劇 

第1回 佐々木俊尚と“福山龍馬”に煽られた末の転落劇 

第1回 佐々木俊尚と“福山龍馬”に煽られた末の転落劇 
 その朝のことはいま思い出すだけでも、身を切られるような感覚にとらわれます。
 2012年の2月上旬。当時の私は、PR系のコンサル会社に務めるサラリーマンでした。その朝、ベッドから身を起こそうとしたところで、私の体はまったく動かなくなりました。
 身動きがとれない中にあって、私の心は葛藤していました。ひとつは「会社に行かなければ」という義務感、もう一つは「会社にもう行きたくない」という切迫感。
 ただ、これだけであれば、よほど仕事が楽しい方でない限り、会社員であればどなたも一度は経験される類の「出社拒否」の経験かもしれません。大半の方は、半日や1日、仮病でも使って、有給を消化するなりして心身をリフレッシュして戦線復帰することでしょう。
 しかし私の「出社拒否」はその日から長いトンネルに突入しました。休みの連絡を入れることはおろか、午前中はまったく体が動かず、とうとう一週間、音信不通になってしまいました。
 全く畑違いの転職をして1年余。不慣れな仕事に悪戦苦闘していたとはいえ、倒れたのはお恥ずかしいことに二度目のことでした。
 「こんなはずではなかった…」。
 その1年2ヶ月前まで、私は読売新聞で10年余、記者生活を送っていました。
 残念ながら、世の中を驚かせるようなスクープを打つ優秀な記者ではありませんでしたが、名刺一つで政治家や経営者、芸能人、アスリート等、一般のサラリーマンが滅多に会うことができない「すごい人たち」を数多く取材したり、署名のコラムで独自の視点を提示して社内や読者の評価を得たりする喜びは得難い体験でした。
 子供の頃から野球観戦が大好き。異動希望がかなって念願の運動部に配属されました。プロ野球取材では、出身地の千葉が本拠で自分がファンでもあったロッテ球団の担当になる等、野球ファンから羨ましがられる仕事だったと思います。
 しかし、本編で詳述するように、私はインターネットの普及に伴う社会の様々な変革を目の当たりにします。若い世代の新聞離れも年々顕著になってきて、ジャーナリストの佐々木俊尚氏の『2011年新聞・テレビ消滅』(文春新書)といった本を読むうち、私は、新聞業界の先行きに漠然とした不安を覚えていました。
 折しも、その年(2010年)に見ていたNHK大河ドラマは「龍馬伝」。福山雅治演じる龍馬が七転八倒しながら、新しい世の中を切り開いていくシーンを毎週見ているうちに「俺も脱藩して新しい世の中を作るんだ」と感情移入している始末。。。いま思えば本当に浅はかでお恥ずかしい動機です(苦笑)。
 まさに昨今話題の「意識高い系」そのものですが、ここから先は、ブログをお読みの皆さんにも初めて明かす私の「黒歴史」も赤裸々に書くつもりです。
 新聞記者が、ビジネスパーソンの常識とかけ離れた、いかに特殊な仕事だったかは後述しますが、転職先の仕事に馴染めず、私はまさかの「職場放棄」をしてしまいました。
 気力を振り絞って心療内科に行くと、「適応障害」との診断。うつ病ほど深刻ではありませんが、生活上の重大な環境変化がストレスの原因となり、情緒面や行動面で社会生活に著しく支障が出る病気です。皇太子妃雅子様も長年この病気で苦しまれてきたことで知られています。
 休職が決まってからは自宅療養の日々。日がな一日、本を読んでもテレビを見ても気分転換にはならず、沈鬱した気持ちから抜けきれずに引きこもり続けていました。悪いことは続くもので、4月には最愛の祖母が98歳の誕生日を目前に亡くなり、悲しみにくれていました。
 しかし、そんな療養生活の区切りとなる出来事が起きます。
 2012年8月20日。銀座の目抜き通りで行われたロンドン・オリンピックのメダリストによる凱旋パレード。私は病身を押して早朝から銀座四丁目の交差点に駆けつけ、五輪史上最多の38個のメダルを獲得したアスリートに感謝と祝福の声援を贈りました。
 50万人の市民が歓喜に沸く現場にあって、私は一人の闘病中の市民として勇気をもらい、もう一度、立ち上がろうと決意を決めました。不思議な力がみなぎっていました。
 リハビリを本格化し、サラリーマンを辞めるかギリギリまで悩みましたが、所属していた会社にこれ以上、迷惑はかけられないという思いもあり、中小企業の広報アドバイスやライターの仕事をお手伝いしながら、自分のやりたいことを模索する道を選びました。
 あれから2年余り。私は文章を書き、少々面白い企画書を作るくらいのスキルはありますが、英語は全く話せません。昨今流行りのデータ分析なんかできない「フツーの文系人間」です。しかも新聞記者という情報の最前線の仕事をしていたはずなのに、インターネットの普及という表面的な現象や既存メディア崩壊を煽る先輩ジャーナリストの意見に踊らされ、高給と社会的地位のある仕事を捨ててしまい、転職先でも大失敗した「情弱」(情報弱者)です。
 まさに「ネットで人生を一度棒に振りかけた私」は凡才の極致。それでも30代半ばで覚えた拙いマーケティングの知識を駆使し、フリーランスとしてなんとか食べていけています。それどころか記者時代には考えられなかったほど著名人や経営者、政治家の方々とお付き合いさせていただく充実した日々を送っています。サラリーマン時代よりは、ライフワーク(やりたい仕事)もライスワーク(食べるための仕事)も両立している手応えもあります。
 終身雇用が崩壊し、企業のライフサイクルが短縮。「40歳定年」説のようにキャリアのサイクル見直しが言われるほど、生存競争と価値観の変化が激しい2010年代において、生き方に悩む「凡才」の皆さんの参考になれば幸いです。(続く)

●新田哲史(にったてつじ)
言論プラットフォーム「アゴラ」編集長/ソーシャルアナリスト
1975年生まれ。早稲田大学卒業後、読売新聞東京本社入社。地方支局、社会部、運動部で10年余、記者を務めた後、コンサルティング会社を経て2013年独立。大手から中小ベンチャーまで各種企業の広報や、政治家の広報・ブランディング支援を行う。本業の傍ら、東洋経済オンライン、現代ビジネス(講談社)で連載。ブロガーとしてアゴラ、ブロゴス等に寄稿しており、2015年10月からアゴラの編集長を務める。