同じモノを見ていても、視点の角度を変えるだけでまったく別の意味を持つようになる。彼の家、生活の仕方、都市の捉え方には無数のレイヤー(層)が存在しているのだ。
彼が見ているレイヤーは普通の人が見ているレイヤーとは違うので、誰にも気付かれないし、誰からも奪われない。同時にそこを他の人が使っても文句がない。彼はこれまでの所有の概念とはまったく違った空間の使い方を実践しているのだ。(『独立国家のつくりかた』)
インフラなどが安定しているように見える社会システムは、みんなが暮らしやすいように、「ゼロ思考」でも対応できるようなレイヤーである。匿名化したレイヤーと言ってもいい。そこには「思考」がないから「疑問」もない。それは真実かもしれない。でも、無数にある真実のうちの一つにすぎない。(前掲書)
ただ、この国にはクーデター防止のための内乱罪という罪があるらしくて、新政府なんて勝手に名乗っていたらまずいかもしれない。だから、新政府活動は「芸術」と呼ぶことにした。もともと僕は「社会を変える」行為を「芸術」と呼んでいたので、嘘ではない。確定申告でも、僕のこれらの新政府活動で使った経費は芸術の制作費として申請している。(前掲書)
僕がイメージしている態度経済というのは、たとえばこんな感じだ。
ただ人が歩き、話し、ハイタッチする。それで経済がつくられる。なぜなら、そこにはとても心地よい家や街や共同体があるからである。それだからこそ、人々が密接に交易を行うことができる。
つまり、生きること。これすなわち態度経済。
態度の世界では、あの人とあの人が知り合いということなど関係ない。態度というものは明瞭に知覚できるので、目的が共有できれば、即、全員同僚である。(前掲書)